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カナダのオンタリオ州H市よりお届けしています
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Profile
HN:
Yoshie
性別:
女性
職業:
ヴィンテージ雑貨店店主
趣味:
ヴィンテージ雑貨収集、アンティーキング、ガーデニング
自己紹介:
カナダのオンタリオ州H市在住。
だんな(夫・カナダ人)&猫2匹と暮らす。
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午前中、J.C.から電話。
出勤前のわずかな時間だったけど、気にしてくれてありがとう。
我ながら、良い親子関係だなと思う。
なんでも話せる、友達みたいな親子です。

午前中は割と忙しく、洗濯や片付け。いろいろこなしてあっという間に時間が経つ。
でも、
いまだにルーティーンができてなくて、夜何をしたらいいのかわからない。
ご飯とお風呂を済ませても7時。
その後何する?

って、今実際にテレビを見ながら困ってる。
自分の家じゃないし、使い慣れたPCもないしな。

来週から少しずつ、自分のために出かけようと思う。

明日はまた寒いんだって。雪が降るって。
カナダの家の方があったかいな、きっと。



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今日は少しましな気温。
就寝9時半、目覚めが5時半と僅かに時差ボケが残っている。

昼間、銀行と食料品の買い出しへ。
何を買ったらいいのやら。とりあえず、食べたい物を食べよう。
お昼用にアジフライと春雨サラダ。
袋に入ったサラダミックス(自分でサラダを作る気なし)。
父が買っておいたお好み焼き粉が出てきたので、青のりと紅生姜。
それから、ガリガリ君。セールだったので箱のやつ。

一人だと、何を食べたらいいのかわからないねえ。
父ともっと食事がしたかったな。前回作ってあげられなかったものを今回は作ってあげようと思っていたのに。

でも、朝ごはんはちゃんと食べてるよ。
いつも父が食べていた様に、バランス良く。サラダも。
カナダでは食べないけどさ。
今日も朝から冷たい雨で、夜の間に降った雪も少し残っていた。
朝起きてエアコンをつけてもまだ暖まらない寒い家の中で、父もこんな寒い思いをしていたんだなと思った。
大変だったろうな。

父がよく行っていた伊香保の温泉に行きたいな。
どっぷり浸かって温まりたい。
最後に連れていってあげたかったのに、一昨年誘ったら行かないって言ったからそのままだった。
一緒にやりたかった事がいっぱいだ。

今日は今まで見ていなかった棚の中を整理しようと、ゴソゴソしていた。
そしたら出てきた! 捨てられてしまったと思っていた私のレコード達が!

ヤングマンとか、哀愁でいととか、カリフォルニア・コネクションとか、いちご白書とか、スニーカー・ブルースとかのEP。
RCとか、シナロケとか、ABBAとか、サザンとかのLP。
ジューシー・フルーツもあったわ。

ああ、プレイヤーがない。
今すぐ聞きたいのに。
何枚かはカナダに持って帰ろう。

父のものも出てきた。
ハワイアンとかムード歌謡とか演歌とか。
それと、相当古いレコード。
厚い、LPより少し小さいやつ。蓄音機でかけるようなやつ。
どうしたんだろう、これ。



昨日とは打って変わって、朝から冷たい雨の本日。
カレンダーを見たらひな祭りだった。すっかり忘れてた。

帰国から1週間。なんだか信じられないくらいの速さで過ぎていった。
父の葬儀は昨日無事に終わり、親戚と久しぶりに会い、楽しい時間でもあった。
春の陽気で風もなく、穏やかな良い日になったのは父の力だったのかな。
今日じゃなくてよかったよ。

今、父がいつも座っていた場所でこれを書いている。
目の前に梅の木が見える。
寒くても、昨日より梅の花が増えているし、昨日やっと出てきた牡丹の蕾は、今日また一段と膨らんだ。

雨が降っても寒くても、季節が逆戻りしても、時間は流れていくのです。

今日もお休みのJ.C.は夕方までいる予定だったけれども、これから雪になるかもと言う予報だったので、お昼前に帰らせた。
彼にはだいぶ助けてもらったな。
式の途中で、手を繋いでくれた。何年ぶりだろう?って笑ってた。
心強かった。
いてくれてよかった。




忘れないように書いておこうと思います。

帰国2日目。
J.C.のアパートを早めに出て、午前中のうちに実家に着く。
しばらく誰もいなかったから、寒い事、寒いこと。
空気を入れ替え、買ってきたパンを食べる。
食べ終わってから、父にLineから電話をする。
あちらもお昼ご飯が終わった頃だった。
着いたことを報告して、お昼に何を食べたのか聞いて(うどんを食べたと言っていた)、
明日行くからね、楽しみにしててね
そう言って電話を切った。

特に変わった様子はなかった。

夕方に、空港から受け取ったスーツケースを受け取ってから、お風呂に入り、テレビを見ながら途中で買ってきたお弁当を食べる。
急に眠気が襲ってきて、寝支度をしてそろそろ寝ようとしていた頃。7時過ぎだったかな?
兄から電話で、父が病室のトイレで気を失って倒れ、具合が良くないので来てくれと看護師から電話があったと聞く。
東京から車で、まず私をピックアップしてから病院に行くからと言われたので、支度をして待っていた。

この時私は、切羽詰まった感じではないと思っていた。
良い方に考えすぎていたのか、深刻には受け止めていなかった。
昼間の様子からしても、夕方6時に兄とLINEで話した時にいつも通りだったと言うことだし。

病院に着いてナースセンターに行くと、先生から「少し残念な話になってしまうのですが」と言う前置きで病状について話があった。

看護士さんが付き添ってトイレに行ったんですね。で、終わったらナースコールボタンで知らせる事になっていたのですが、なかなか鳴らないので見に行くと、倒れていたんです。
起こした時には意識が戻って、「倒れちゃった」と言うようなことを言っていたんですよ。それでベッドに戻して寝かせた後は、意識が遠のいたり戻ったりで。

そこまで話を聞いても、私は今でも病室にまだそのまま寝ていると思っていた。

先生はレントゲンのコピー画像を見せてくれて、続けた。
左側に脳の画像、右側にお腹周りの画像があった。

脳には問題はなかったので、倒れた時に頭を打ったとか脳梗塞とかではなかったのですが、お腹の方を見ると肝臓から出血していたのがわかります。
その為に貧血を起こしたのでしょうね。

本当に残念な話になってしまうのですが、そのうち呼吸がだんだん弱くなっていって、静かにお亡くなりになりました。

そう言われて、たまらなくなり、涙が溢れてきた。やっと溢れてきた。
まさに堰を切ったように。決壊。

待てなかったんだね、お父さん。
明日会おうねって言ってたのに。
私に「家の事でやってもらいたいことがあるから」って、リストアップしてあると言ってたのに。やってあげられなかった。
私が日本に帰るのをこの日に決めたよって伝えたら、「そんなに早く来なくてもいいのに」って言ってたのに。
たったの1時間前にはお兄ちゃんと話したのに。

その後、私と兄夫婦でお別れしました。
看護士さんが病院に来た時の服を着させてくれて、ベッドに横たわる父はただ眠っているだけのように見えた。
今にも目を開けて「来たんだね」って言いそうな父でした。
話しかけて、肌に触れて、お別れを言いました。

このタイミングで最後を看取ってあげられなかったのはとても残念な事なのだけど、こんな風にこんなに突然にお別れの日が来るなんて誰も思っていなかったから。
本人だってそうだったし。あまり気にしないようにしています。

享年93歳。
2022年に肝臓癌が見つかり、癌センターの担当医師の執刀最年長で手術をしてもらい、その後健康に気を配ってがんばっていたのだけど、昨年の3月に再発。
ほぼ1年、家族や周囲の力を借りつつも、一人暮らしで頑張りました。
偉かったよ、お父さん。
ありがとう。











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