火曜日。
チェックアップの為に医者に行くべき義母が全く行こうとしないので、とうとう往診に来てもらうことになった。
カナダでは往診は珍しいことで(たぶん日本でももう殆どしないだろう)、余程でない限りしてもらえないのだが、高齢、目や耳が不自由ということでなんとか来てもらえることになった。
(ここまでたどりつくのに、なんだかんだと3カ月は経っている)
私は立ち会う必要がなかったので、いつもどおりに家で過ごしていたが、帰宅しただんなからは思いもよらない結果を聞いた。
義母も認知症であった。
しかも、義父よりも進行しているとのこと。
ただ、義父のようにアルツハイマー型であるかそうでないかは、まだ聞かされていない。
義父母の家に行くといつも(毎週日曜日には3人揃って行っている)、一昨年のクリスマスに私達がプレゼントしたデジタルフォトフレームの写真を見ながら、
「これは○○(名前)、あれは○○」
と、殆ど写っている人みんなの名前をきちんと言える義母。
私の名前も忘れたことはないし、私がどこから来たのか、私の親はどこに住んでいるのかもちゃんとわかっている。
けれども、数ヶ月くらい前から自分の姉の写真を見て
「○○(姉の名前)は生きてるの、死んじゃったの?」
と義母に聞くようになった。
義父が
「○○はずっと前に死んじゃったよ」
と答えると
「そうだっけ?死んじゃったんだっけ・・そっか・・」
と驚きもなく、悲しげでもなく認めるだけ。
これにはなんだか私も「変だなぁ」と思っていたのだけど(ただ忘れていたのなら驚くだろうし、それから悲しむはず)、それでもただのボケなのかなあと思っていただけだった。
今回、認知症だと言われて誰もがショックを受けたが、誰もが納得。
他にも、思い当たる言動などはいくつかあって、それは性格や年齢からきているものだと思っていたけれども、本当は認知症だったからなんだと。
そして、現在義母の能力は6歳、義父は12歳程度なんだそうだ。
最近は認知症もアルツハイマーもテレビドラマや小説で取り上げられていたりして、どんなものなのかは私も知ってはいたけれども、今回身内がそうであると診断されて感じたのは病気の恐ろしさ。
自分でもわからないうちに、家族との大事な思い出が自分の記憶から消えてしまったり、親、兄弟の顔や声さえも忘れてしまうなんて、なんて悲しいことだろう。
こんな辛いことがあるかな。
辛いけれども本人にはその辛さが全く分からない、それがあまりにも惨いなと思って、何か原因があって発症した痛みのある病気の方がまだましかも、なんて思ってしまったり。
決してどちらがいいなんて、そんなことは言えないのだけれども。
神様はどうして、人間にこんな病気を作ってしまったのでしょう。

PR