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カナダのオンタリオ州H市よりお届けしています
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Yoshie
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女性
職業:
ヴィンテージ雑貨店店主
趣味:
ヴィンテージ雑貨収集、アンティーキング、ガーデニング
自己紹介:
カナダのオンタリオ州H市在住。
だんな(夫・カナダ人)&猫2匹と暮らす。
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前回の日記について、励ましのメールを下さった方々
どうもありがとうございました。

抜粋して書いているので、意外にあっさりと義父母の施設行きが決まったみたいな感じがするかもしれないけれど、実は本当に長い道のりだった。
今回は「危機」という状況で、手続きがポンポンと上手く進んだけれど、こういう危機的な状況に直面しなければ、施設に入るのに4~5年は待たなければならないらしい。
(結局は施設や状況をジャッジするエージェントも、危機的状況までは何もしてくれないのと同じ)

義母が施設に行った当日、義姉が一緒について行ったので、義父と対面した時の様子を後で教えてもらったら、義父は義母の頬を両手で包むようにして顔を近づけ、涙を流したらしい。
二人とも泣いて、その後しばらく手を握っていたのだそうだ。

けれどもやはり、義母にはこれからずっとそこで暮らすと言うことが理解できてなくて、自分の住所を何度も繰り返しつぶやいていたらしい。
結局その夜は施設の方から電話があり、義母が悲鳴をあげたりしているので鎮静剤をあげてもいいかと聞いてきた。
鎮静剤をあげた後にはだいぶ落ち着いたようだけれど、次の日も日に何度か薬をあげているのだそうだ。

義父はと言うと、そんな義母を少しうっとうしく思うのか頭を抱えてしまっている。
もう殆ど言葉が出ず、YesかNoの返事(しかもYesであってもNoと言うことの方が多い)しかしない義父には、義母が何度も同じことを繰り返し聞いて来たり、大声を出してしまったりするのは、うっとうしいのかもしれない。
義母の方だって、義父がそんなに病状が悪いと思っていない(というか、言っても忘れてしまう)から、悪くは言えない。

+++++

昨日は母の日。
と言うことで、家族でランチへ。
確か去年も母の日ランチはここだった。
ビーチ沿いにある、Hutch's。
比較するものがないからなんかものすごく大きく見えるけれど、これ、お皿はすごく小さいの。
これでSmallだけど、十分お腹いっぱいになる。
はっきり言って、フレンチフライは多すぎるくらい。

 

お天気もよくて、とてもよい1日だった。



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義父が倒れてから1カ月。
行き先の施設が決まったのが2週間前。
すぐにでも入れるはずだったのに、施設の方で何か病気が流行したので1週間見合わせ。
その1週間後にはインフルエンザの流行で見合わせ。
そしてやっと、今週の火曜日に義父は施設に入ることができた。
様子は、病院にいる時と変わらないらしい。
家に帰りたいとは言わないし、話すこと自体、言葉が見つからないからかあまりしなくなった。

火曜日に義父が施設に入ることが決まった時、同時に心配事が増えた。
続いて義母を同じ部屋に入れるわけだけれど、どうやって連れて行くか。
これまで病院を嫌って、11年前に義父が入院した時もお見舞いにさえ行かなかった義母。
その後、緑内障が悪化して片目は全く見えなくなった。
その頃から外出と言えば義父の運転する車で、義父の日課であった散歩に、高台の見晴らしのいい公園に行く程度。
それでも自分が歩くことはあまりしないで、車の中で待っていることが殆どだった。
義父が運転をしなくなってから、義母は庭に出る以外、外には出ていない。
そういう人を、連れ出すのは無理なこと。

最初は、だんなと義姉が当日に、義母に
「お父さんに会いに行こう」
と言って連れ出して置いてくるという計画だったらしいけれど、それじゃあ義母が子供たちを恨むよなぁ・・と心配だった。
持って行きたいものだってあるだろうし。
私は何も言わなかったけれど、それがすごく心配だった。
結局、義姉が、
「お父さんはもう帰ってこれないから、私設に入るんだよ。お母さんも一人でここにはいられないし、お父さんと一緒に施設に住むことになるんだよ」
と義母に伝えたらしい。

義母は、一時はそれを素直に受け入れて、
「何を持って行こうか」
と自分から言ったりしていたらしいが、やはり認知症のせいで現状を理解できない様子。
「嫌だ」
とはっきり言ったり、
「お父さんを連れ出して、連れて帰って来ちゃおうよ」
なんて子供みたいなことを言ったり。
日が進むにつれて感情がジェットコースターのようにアップダウンが激しくなり、泣いたり、怒ったり。
自分が食べていたチョコレートを残して、
「お父さんに会ったらあげるんだ」
と紙に包んで取っておいたり。

義母は今日施設に行くことになる。
昨日は実家で最後の日と言うことで、私もJ.C.もみんなで一緒に、義母の好きなフライドチキンを食べた。
私が夕飯後の後片付けをしている時、だんなが別の部屋で泣いているのが聞こえた。
堰を切ったように、声が出るほど泣いていた。
いつもは自分が泣いている義姉が慰めていたので、私は行かなかった。
なんて言ったらいいのか、わからなかったというのもある。

義母がテレビを見ていたので、隣を指差し
「ここに座っていい?」
と聞くと
「ダメ。ここは××(だんなの名前)が座るから」
と言われた時には、驚いてしまった。
普段だったら
「いいよ。お座り」
と言うはずなのに。驚いたと同時に、なんだか急に私も悲しくなってしまって
「O.K. O.K.じゃあ、××呼んで来るからね」
と言って部屋を出るしかなかった。
なんだか義母は、その日はいつも以上にだんなを呼び付けていた気がする。 
だからだんなもたまらなくなって泣いてしまったのかもしれない。

ダイニングに戻って義姉やだんなと話していると、義母が何やら喋り出し(最近は殆どドイツ語なのでなにを言っているのかわからない)、子供のように泣く声が聞こえて来て、私も堪え切れなくなって泣いてしまった。
そんな風に、誰かが泣いては誰かが慰め、涙を拭いて立ち直る。昨夜はそれの繰り返しだった。

映画「わが母の記」を見たけれど、義母はまさにあんな感じ。
子供たちやその家族をいつも気遣って、子供たちの好きなものや大事な思い出は忘れていない。

今日の朝、患者輸送車(救急車みたいな車で、患者を家から病院、病院から病院へ移す時に使われる)が来て、義姉に付き添われて義母が家を出ることになっている。
時間的には既に、もう義母は施設に行っている頃。
義父と義母、どこまでお互いをわかりあえるかわからないけれど、また一緒に暮らすことができる。






義父は未だに入院中。
結局、家には戻れないらしく、残念だがそのままケア施設行きとなる。
入院してからと言うもの、少しずつまた認知症の症状は重くなって来ているようだし、誰が見たって家で過ごすのは無理なのだろうと思う。
二人の認知症をみるには、たぶん誰かが住みこまなければならない。
そして、24時間体制で見ていなければならないから、1か月でものすごくお金がかかる。
保険や、老人ケアの団体、私設ケアなどを駆使してサポートすることもできなくはないが、1週間に何時間、1日に2時間までと決まっていたり、そうなると人が入れ替わり立ち替わり出入りするわけだから、本人たちも混乱するだろうし。

義父がまず施設に入り、そのあと義母も同じ施設に・・・となるようだけれど、義母がどう反応示すことやら。
睡眠薬とか鎮静剤とかあげないと、まず言うこと聞かないだろう。
義母の頭の中は割としっかりしていて、自分と繋がりある人のことは誰がどこにいると言うのも全て覚えている。
だから、私がいる時は「Jは大丈夫?一人で家にいるの?」と心配するし、義姉がいる時は義姉の夫や子供たちを心配する。
けれども、20年前に亡くなった自分の姉がまだ生きていると思ったり、3分前に言ったことは忘れ、何度も何度も同じことを繰り返し聞いたり。

機嫌の良い時は子供みたいに笑い、はしゃぎ、嫌なことも子供みたいに泣いたりわめいたりして嫌がる。
とても社交的なので、たぶん私設に入った方が楽しいのだろうと思うけれど、子供たちのことを恨むだろうな・・・・。

私は私ができるだけのことはやっているけれど、うちはたった3人家族でも普通に機能していないことが不安だったりする。
「こういう時だから言ってはいけない」とがまんしていろいろと心に貯めていたけれど、昨日はちょっと爆発してしまった。

以前の私ならば、こういう場でぶちまけて、わかる~っていうコメント貰って鬱憤を晴らせたけれども、そういうのが実際には読んだ人の気持ちを悪くさせていると気づいてから、それもできないし。
でも言えるのは、家族の問題って家族にしかわからないもの。
だから、代わってあげることはできないし、さらにどこかに必ずしわ寄せが行く。


+++++

昨日は20℃越え。
たっぷりと外に出て、庭の手入れ。
掃除をし、花壇の土を掘り起こし、エッジをきれいにして、伸びすぎたアイビーをバサバサと取り払う。
どうも、バラが2本だめになってしまったみたい。
ブリーディングハートも、デルフィニウムも、アジサイも芽を出し、後は大丈夫そう。



月曜日の午後は嵐のように風が強くて雨も降ったりしていたけれど、気温は20℃近くまであって「春の嵐」?なんて言う感じだった。
週末も暖かかったのに、今日は冬に逆戻り。
朝起きると、こんな状態。

        朝9時過ぎには止んだけれど、冬景色だよ・・・


けれども、鳥はわかってるんだね。
春が来てること。
Angieが窓のそばで、にゃっ、にゃっ、にゃっ♪と歌っていたので、鳥を見てることはわかったけれど、見上げている。
デッキに続くスライディングドアの左上に、ロビンが巣を作っていた。

             朝からせっせと巣を作っておりました


2年前だったっけ?おんなじ所にロビンが巣を作ってた。
またあの、きれいなブルーの卵を見れるのか。

++++

日曜日、義父を見舞いに病院に行ってきた。
顔色は悪くなく、少し半身を起してベッドに寝ている状態。
だんなが置いてある家族の写真を指差しても、一人も名前と顔が一致しなかったし、居るはずのない人の名前(ドイツに住む自分の兄や姉)が出てきたり、妻である義母を自分の母だと言ったり。

向かい側の壁には、それぞれの患者の為のホワイトボードがあり、そこに今日の担当の看護師が誰だとか、伝言を書き込んだりできるようになっているのだけど、右下にあるその病院の名前をなんども言っていたり(もしかしたら、今ここにいるんだよと誰かが教えたからかも)、隣の人とブランケットが違うと言うようなことを何度も言っていた。

病状を伝えた時、一度ちょっと悲しそうな顔をしたが、後はいつもの義父で、やさしそうに笑っていた。
まだ夜中の徘徊は続いているみたいだけど、注意をすると素直に聞くよい患者だということ。



水曜日。
お昼過ぎに仕事をしていたら、義姉から電話。
毎週水曜日は義父母の家にトロントから義姉が訪問、その夜は我が家に泊まり、木曜日にまた義父母の世話をして帰ることになっている。
だから、義父母の家から電話してきたのだが、
「早く来て!お父さんの具合が悪くなって救急車呼んだから、ここに来てお母さんを見てて」
とのこと。

私がかけつけた時には、2人の救急救命士が義父の脈を測ったり声をかけたりしていた。
義父はダイニングのテーブルについていて、酸素マスクをつけられ、顔色は真っ白、力がないと言った様子。

義姉がランチの後のコーヒーを淹れている時、義父はダイニングの椅子に座っていたのだけど、急に頭が項垂れ、がくんとテーブルに伏せるような感じになったのだそうだ。

義父も義姉もいないとなると、義母が家に一人になる。
義母も認知症で、おまけに緑内障で片目は見えず、もう片目もものすごく視野が狭いので、自分で食事を作ったりはしない。
さらには耳が遠い。
誰かが見ていてあげないといけない。

幸いにも、義母はパニックに陥ってる様子もなく、割と落ち着いていたので、私はとにかくその場にいたが、夫と娘はどの病院へ行ったか?その病院はどこにあるのか?息子(だんな)はどこにいるのか?J.C.は家に一人で大丈夫か?などなど、同じ質問をぐるぐると何度も何度も聞いてくる。
義母には悪いが、その日はものすごく疲れた。
同じ質問に答えるだけならまだしも、耳が遠いから毎回大声を出さないといけないので。

だんなが仕事帰りに病院に寄り、その足で義母のいる実家に来てくれた。
その時点でまだ、義父はエマージェンシーにいて、処置を待っていたところ。
ストレッチャーの上で寝ていたらしい。
心拍数も戻り、とりあえずは落ち着いたらしい。

その日はCTスキャンとかいくつかのテストがあったらしいが、原因がよくわからないと言う。
CTスキャンでは、小さな脳梗塞があったしるしがいくつか見られたらしいが、今回の症状が脳梗塞だったのかはわからないらしい。

その夜、義父は病院内を徘徊していたとのこと。
それから、居ないはずの妻がそこにいるとか、幻覚も見ていたらしい。
次の日、だんなが義父を訪ねた時、義父はタオルを抱えて大泣きしていた。
その夜も何度もベッドを抜け出しては、徘徊。

医者によると、今後も同じことが起こりうるから、24時間体制の監護が必要。
けれども、彼らの家にはそれが整っていないから、整うまでは家には帰れないとのこと。

そんなわけで、義姉はこちらに残り、昼間は病院、義父を訪問、そして担当医と主治医の話を聞いたり、そして夜は実家に泊まっている。
私は誰もいない間、義母のそばにいてあげている。

何か起こらない限り、いくら認知症であっても、自分で生活ができる間はケア施設には入居申し込みさえ難しいのだが、とうとうそういう時期になったのかなと思う。
けれどもそれすら、話が進んでいないという状態。

とにかく1日も早く、義父も義母も安全な環境で生活できるようになって欲しい。


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