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カナダのオンタリオ州H市よりお届けしています
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Profile
HN:
Yoshie
性別:
女性
職業:
ヴィンテージ雑貨店店主
趣味:
ヴィンテージ雑貨収集、アンティーキング、ガーデニング
自己紹介:
カナダのオンタリオ州H市在住。
だんな(夫・カナダ人)&猫2匹と暮らす。
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夜ご飯を食べて、お風呂に入ってから朝まではテンポラリーひとり暮らし。
実家の私が寝ていた部屋は仏間となり、他の部屋は片付けの為に物が溢れ、私が寝る場所がなくなってしまったので、隣の兄の家で寝泊まりしている。
兄は週末しか来ないので、夜は一人暮らし気分を味わっている。

やっと自分のことができるようになった。
今日は、やっとカナダに戻る便の取り直しをした。
元々のチケットは6月3日発のトロントまでの直行便。
それがキャンセルになり、バンクーバー経由の便に振り返られ、さらにまた振り返られて6月4日の便だったが、それでもバンクーバー経由ならトロントに向かう便は3日間のホテル隔離が済んでからなので3日後。
その為に取り直し。

ソウル経由のトロント便があることを知り、そちらに振り替えてもらうことにした。
またまたソウルのインチョン国際空港で乗り継ぎ。
今度は乗り継ぎ時間が短いのでちょっと不安だけど、なんとかなるでしょう。
6月8日に成田から出発することになった。

一つ問題が片付いた。
結局お金はかかってしまうけれども、やはり仕事もしたいしこのタイミングで帰りたい。
延ばしたところで、ホテル代が浮くことになるかはわからないので、なるべく予定通りに行動するのがいいと思った。

さて。
あとは、出発前のPCR検査をどうするかと、成田に行く方法と、トロントのホテル。
誰にも頼れないのが困る。
でも、日本に来るときにあれだけ大変なことができたのだから、きっと大丈夫だろう。

やるしかない。



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今だに夜中に起きるルーティーンが抜けていないのか、昨夜は11時近くに寝て、1時半に目が覚め、その後眠りに戻れず4時過ぎまでうだうだ。
そしてやっと寝れたと思ったが、6時にまた目が覚めたので起床。

ずっと片付けなどで忙しくしていたが、昼寝もほとんどせず、今ここにこうしている。20:37。
ビールなど飲んで、久しぶりに音楽を聞いている。
母に音楽を聞かせてあげようとサブスクライブしたAmazon Prime Music Unlimited。
1ヶ月で解約しちゃうから、今のうちに・・と、大好きなGlad All Overを聞いている。
清志郎とチャボのデュオ。日比谷野音のライブ。

これ、いいんだよねぇ。
「ダーリン・ミシン」のフォークバージョンが最高にいい!
今流れてきた、「甲州街道はもう秋なのさ」もいい。
(この曲を甲州街道ドライブ中に聞いた、ベタな私です)

今日、たまたまインスタを開けたら、新井田耕ちゃんと憂歌団の木村さんのツーショットが出てきて、あらら、耕ちゃんは普通のおじいちゃんになっててびっくりした。
そんな繋がりで、また清志郎が聞きたくなった。


やっと今日は朝から晴れ。
しばらくぶりに布団も干してみよう。
忙しくて&天気のせいで後回しになっていたシーツの洗濯も。

私がカナダに戻るまでにやらなければならないことは、まだたくさんある。
出発の準備だけに絞ってみると、
まず、飛行機のチケットの取り直し。
予定通りの日程で帰るなら、私のチケットは羽田ーバンクーバー(乗り継ぎ)ートロントなのだが、カナダ政府の入国規制

海外から航路で入国する人は、最初の到着地でPCR検査を受け、その結果が出るまでホテルで3日滞在(自己負担)。
陰性であれば最終地点まで移動し、自宅なりホテルなりで11日間自主隔離。

という、わけのわからないルールの為に、非常に悩んでいる。
5月21日までだったので私が帰るまでにこのルールは解除されるかなと思っていたが、甘かった。
6月21日まで延長されてしまった。

つまり、
私はバンクーバーでホテル3泊しなければならない。
このホテルは政府認定のホテルに限られて、政府が金額も指定しているのでものすごく高額になる。
1日3食の食事がつくだけで、通常の宿泊料金に200ドル以上が加算される。
安くても一泊300ドル超え。3日で1,000ドル、プラス高い税金。

で、大体の場合、2日目くらいに検査結果が出るらしいのだが、ホテルはキャンセル不可。
そこで移動してもいいが、もったいないので3日滞在するか。

無駄だ。なんて無駄!
PCR検査検査結果がすぐに出ればいいのよね。
日本みたいに、空港で待たせてくれればいいのよね。

滞在を6月21日以降に延ばすことも一応考えているが、延ばしたところでその日に解除されるかはわからない。
更に延長されてしまったら、延ばした意味がない。

この1週間で何か変化があればいいのだけど。
まずないだろうなぁ・・・。



17日に自宅で通夜、翌日18日に告別式と火葬が無事に済んだ。
今日は初七日。
初七日の法要は告別式の時に済ませたので、今日は特になにもない。
ただただ、1週間が経つのがあっという間だったことに驚き、1週間前との違いを実感している。

告別式は、父と兄、兄嫁、父方の叔母、その娘(私のいとこ)、そして私の6人だけが参列。
家族葬のこじんまりした祭壇だと思っていたが、参列できない親戚などからの供花も多く、思いの外お花がたくさんでとてもきれいだった。
お経は疲れのせいかぼーっと眠くなってしまいわからなかったが、最後のお別れの時には棺が花でいっぱいになり、花に囲まれた母はきれいだったな。
その時もちゃんと、
お母さん、ありがとう
って言えたよ。

その後、火葬場まで移動し、本当のお別れの時にはまた泣いてしまったけれども、待っている間に叔母がだいぶ笑かしてくれて、ロビーで大笑いしてしまった。
他の家族が居なくてよかった。
叔母は一人喋り続けていた。天然。うちはしんみりしちゃうからこういう人はどんな場面でも必要だなと思った。

母はだいぶ骨が丈夫な人だったらしい。
あちらの人も感心していた。
なくなった時の年齢とか、女性であるとか、考えると、まずこれだけ形が残っていることは少ないと感心していた。
喉仏も破損がなくきれいに残っていた。
それも珍しいことらしい。健康な人でも、なかなかそこまできれいに残ることはないらしい。
みんなで感心してしまい、寂しさや悲しさは吹っ飛んだ。

立つ鳥後を濁さずというけれども、こうしてみんないつまでもメソメソし続けなくて住んでいるのは、苦しんだりせずに良い形で亡くなった母のおかげなのかなと思っている。

でもね、遺品がすごいんです
服がもう、山のようにあって・・・。
ちょっと後を濁しているかな。

それにしても。
日本の冠婚葬祭は決まりごとが多すぎる。
それも、地方や宗派によっていろいろだったり。
母が亡くなった次の日から今日まで、私は母の朝のお供え物を毎日作った。
お供えをあげるまで、他の人は朝食にありつけないので、毎朝6時前に起きて、6時には終わるようにお湯を沸かし、お団子を作り、お茶を沸かしてご飯を盛り付け・・・。

明日の朝はちょっと寝坊できるかな。


5月15日の朝、母が旅立ちました。
私はシフトが終わり仮眠中、父がそばにいる時、父が私を呼びに来て母のところに行くと、もう息を引き取った後でした。

なんだろう、こういう時って涙が出ないものなのだな。
悲しいというよりも、ホッとしたという気持ちのほうが強かった気がする。
余命1ヶ月、長くて2ヶ月と言われてから、2ヶ月以上頑張った。
癌とパーキンソン病の緩和ケア中、痛みもなく、苦しまずに逝けたのは奇跡に近かったかもしれない。
訪問診療に毎週来てくれていた医師は、前日の訪問診療が終わって帰る時、窓の外から母を見たら母が手を振ってくれたのだと教えてくれた。
最後まで、そういう人でした。

看護師さんと一緒に、私と兄嫁で母の体を拭いてあげて、用意していた服を着せてあげた。
お化粧が要らないくらい肌はきれいで、亡くなったとは思えない顔。
ふっとまた息が吹き返すのではないかと、何度も思った。

夕方になると、ご近所の方たちが会いに来てくれた。
みんながみんな、亡くなったとは思えないほどきれいだと言ってくれていた。
それだけで来てくれた人達もほっとする。
(つらそうな顔をしていたら、見ていたくないもんね)
そして私達もボロボロ泣かずに済む。
ここまで気遣いしてくれたんだな、きっと。

来てくれた幼馴染の一人が、私が仮眠中に逝ってしまったのだと伝えると
「お母さん、Yoshieちゃんに寝ていいよって言ってくれたんだよ。お父さんがその時に居たから、Yoshieちゃんは寝ててねって」

そう言われて、なるほどな、母らしい逝き方だったのかもしれないな。
そんな風に端々に、母の人柄が窺える。
そしてそれに嬉しくなったりホッとして、ビービー泣かずに済んでいます。

ありがとう、お母さん。


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