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カナダのオンタリオ州H市よりお届けしています
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Profile
HN:
Yoshie
性別:
女性
職業:
ヴィンテージ雑貨店店主
趣味:
ヴィンテージ雑貨収集、アンティーキング、ガーデニング
自己紹介:
カナダのオンタリオ州H市在住。
だんな(夫・カナダ人)&猫2匹と暮らす。
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昨日とは打って変わって、朝から冷たい雨の本日。
カレンダーを見たらひな祭りだった。すっかり忘れてた。

帰国から1週間。なんだか信じられないくらいの速さで過ぎていった。
父の葬儀は昨日無事に終わり、親戚と久しぶりに会い、楽しい時間でもあった。
春の陽気で風もなく、穏やかな良い日になったのは父の力だったのかな。
今日じゃなくてよかったよ。

今、父がいつも座っていた場所でこれを書いている。
目の前に梅の木が見える。
寒くても、昨日より梅の花が増えているし、昨日やっと出てきた牡丹の蕾は、今日また一段と膨らんだ。

雨が降っても寒くても、季節が逆戻りしても、時間は流れていくのです。

今日もお休みのJ.C.は夕方までいる予定だったけれども、これから雪になるかもと言う予報だったので、お昼前に帰らせた。
彼にはだいぶ助けてもらったな。
式の途中で、手を繋いでくれた。何年ぶりだろう?って笑ってた。
心強かった。
いてくれてよかった。




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忘れないように書いておこうと思います。

帰国2日目。
J.C.のアパートを早めに出て、午前中のうちに実家に着く。
しばらく誰もいなかったから、寒い事、寒いこと。
空気を入れ替え、買ってきたパンを食べる。
食べ終わってから、父にLineから電話をする。
あちらもお昼ご飯が終わった頃だった。
着いたことを報告して、お昼に何を食べたのか聞いて(うどんを食べたと言っていた)、
明日行くからね、楽しみにしててね
そう言って電話を切った。

特に変わった様子はなかった。

夕方に、空港から受け取ったスーツケースを受け取ってから、お風呂に入り、テレビを見ながら途中で買ってきたお弁当を食べる。
急に眠気が襲ってきて、寝支度をしてそろそろ寝ようとしていた頃。7時過ぎだったかな?
兄から電話で、父が病室のトイレで気を失って倒れ、具合が良くないので来てくれと看護師から電話があったと聞く。
東京から車で、まず私をピックアップしてから病院に行くからと言われたので、支度をして待っていた。

この時私は、切羽詰まった感じではないと思っていた。
良い方に考えすぎていたのか、深刻には受け止めていなかった。
昼間の様子からしても、夕方6時に兄とLINEで話した時にいつも通りだったと言うことだし。

病院に着いてナースセンターに行くと、先生から「少し残念な話になってしまうのですが」と言う前置きで病状について話があった。

看護士さんが付き添ってトイレに行ったんですね。で、終わったらナースコールボタンで知らせる事になっていたのですが、なかなか鳴らないので見に行くと、倒れていたんです。
起こした時には意識が戻って、「倒れちゃった」と言うようなことを言っていたんですよ。それでベッドに戻して寝かせた後は、意識が遠のいたり戻ったりで。

そこまで話を聞いても、私は今でも病室にまだそのまま寝ていると思っていた。

先生はレントゲンのコピー画像を見せてくれて、続けた。
左側に脳の画像、右側にお腹周りの画像があった。

脳には問題はなかったので、倒れた時に頭を打ったとか脳梗塞とかではなかったのですが、お腹の方を見ると肝臓から出血していたのがわかります。
その為に貧血を起こしたのでしょうね。

本当に残念な話になってしまうのですが、そのうち呼吸がだんだん弱くなっていって、静かにお亡くなりになりました。

そう言われて、たまらなくなり、涙が溢れてきた。やっと溢れてきた。
まさに堰を切ったように。決壊。

待てなかったんだね、お父さん。
明日会おうねって言ってたのに。
私に「家の事でやってもらいたいことがあるから」って、リストアップしてあると言ってたのに。やってあげられなかった。
私が日本に帰るのをこの日に決めたよって伝えたら、「そんなに早く来なくてもいいのに」って言ってたのに。
たったの1時間前にはお兄ちゃんと話したのに。

その後、私と兄夫婦でお別れしました。
看護士さんが病院に来た時の服を着させてくれて、ベッドに横たわる父はただ眠っているだけのように見えた。
今にも目を開けて「来たんだね」って言いそうな父でした。
話しかけて、肌に触れて、お別れを言いました。

このタイミングで最後を看取ってあげられなかったのはとても残念な事なのだけど、こんな風にこんなに突然にお別れの日が来るなんて誰も思っていなかったから。
本人だってそうだったし。あまり気にしないようにしています。

享年93歳。
2022年に肝臓癌が見つかり、癌センターの担当医師の執刀最年長で手術をしてもらい、その後健康に気を配ってがんばっていたのだけど、昨年の3月に再発。
ほぼ1年、家族や周囲の力を借りつつも、一人暮らしで頑張りました。
偉かったよ、お父さん。
ありがとう。











今回のフライト、日曜日発だったので空港までの道も空いてたし、全てスムースだった。
チェックインはオンラインで済ませてあったから、空港に着いてキオスクの機械でラゲッジタグをプリントアウトし、それをスーツケースにくっつけて、無人のドロップオフの機械で預ける。
これが本当に便利で、早く羽田も導入してくれないかなと思う。
早いのよ。並ばなくていいから。羽田、いまだにカウンターでスーツケース預けないとだから。

だんなとしばらくコーヒーを飲んで時間を潰し、その後1人でセキュリティへ。機内持ち込みの小さなスーツケースが再検査の列に行っちゃってドキッとしたけど、開けられずに済んだ。

飛行機は満席ではなかったらしく、いつもなら30分以上前から搭乗するのに並ぶけれども、今回は10分前でやっと列ができ始めた。
出発は少し遅れたけれど、揺れも少なめ、快適な方だったかな。

私は端の2席の窓側の席。
隣は若い日本人男性。この人がさあ、爆睡してて。
ずーっと爆睡。
でもトイレに行きたくなって、でも起こしちゃ悪いって言う気持ちもあったから小声で
「すみません」
って言ったら全然起きてくれなくて、最後には悪いけど腕に触れて揺り起こしたわ。

その後もその人、爆睡。
食べる時間に起きて、食べてまた爆睡。
本当はもう一回くらいトイレというわけじゃなくても立ち上がってストレッチしたいなと思っていたけど、起こすの悪くてできなかった。

私は最初のご飯の後にしっかり寝て、その後うつらうつら。
まあまあ寝れたかな。
ご飯の時に飲み物を聞かれ、いつもと同じくジントニックを頼んだら、作ってくれてカップだけ渡されたから、トニックウォーターを缶ごととジンのボトルをちょうだいって頼んだの。
いつも作った残りをくれるので。
ジンは小さなボトルだけれど、トニックウォーターでちびちび割りながら飲むとちょうどよく両方終わるので。
気の利いたCAさんはちゃんと両方くれる。
中にはジンの残りはくれるけどトニックウォーターをくれないCAさんもいる。
いろんな人がいてあとから頼むのも面倒なので、そこはしっかり頼むようにしている。

そしたら今回のCAさん、
「ジンをもう一本?」
って言うから「ん?」と思ったけど、後でわかったもう一本の意味。
何と作った時に一本全部使ってた。
あのドリンクのプラスティックカップの半分はジン。
濃かったわー。濃かった。
結局もらったもう一本は全く手をつけなかったもん。トニックだけ足しながら最初の一杯を飲んで終わった。

とまあ、満足いかない事もあったけれど、早めに羽田に到着。
仕事はお休みだったJ.C.が迎えにきてくれて合流。
彼のアパートがある最寄駅を降りてすぐの焼き鳥屋で飲んでから、帰った。

こうして帰国1日目が終わった。



足裏のジンジンは引けたけれども患部が床や靴に当たった時のピンポイントな痛みは少し残っていた。
飛行機の中は座ったままだけれども、空港は歩くし大丈夫かな。
けれど、今日の午後になるとそれもだいぶ弱まってきて、明日はなんとかなりそうだ。


いよいよ明日は日本に向けて出発する日ですが、あんまり実感がない。
今日の午後に急いでスーツケースのパッキングしたけれど、何か忘れ物がありそうな、無さそうな。
パスポートとカナダに戻るためのPRカード(永住者カード)、銀行のカードさえ持っていれば何とかなるので大丈夫でしょう。

服も困るのよね。微妙な時期。
去年の3月も日本にいたけれども、去年は結構寒かった。天気も悪かったし。
桜も遅かったんだよね。

立つ鳥跡を濁さず。
しっかり今日の今日まで仕事をして、だんなに後を任せておくための作業をして、デスク周りもきれいにしておいた。

日本に帰ったら、本を何冊か買おうかな。
今回は何か読みたい気分。
それと、スイミングに行かない分、エクササイズもしないと。
筋トレ始めようかな。


昨日、クリニックに行った理由は二つ。

喘息の吸引薬を処方してもらう為。
それと
兼ねてからの皮膚のトラブルを解消したいので、こちらも薬を処方してもらう為。

もう一つ、これがメインイベント。
魚の目を診てもらう為。

実は来る日曜日に日本に向けて発つことになり、その前にこの3つを解決しておきたかった。
滞在中に吸引器の中身がなくなってしまったら困るので(中が見えないのでどれだけ残っているのかわからん)、とりあえず新しいものをゲットし、耳の上というか地肌というか、ずっと痒みがあって治らないのでついでにそれも。

そして残る魚の目。
毎日絆創膏みたいなやつを貼り付けて随分経つが治らない。
それから液状の薬に変え、徐々に乾いた皮膚を取ったりしていたけれど、3日前くらいに真ん中をピッと引っ張ったその時に血が結構出てしまったの。
真珠の玉2個分くらいか。
それで拭き取ったらすぐ止まったけど。

そしたらやっぱり液状の薬も絆創膏の薬もやるわけにはいかないでしょう。
なので、今後どうしたらいいのか旅行前に聞いておきたかった。
ちょうどだんなも別件でクリニックに行くと言っていたので、一緒にアポイントを取った。

で、魚の目。
立派なベッドの診察台に腰掛け、足を持ち上げて足裏を診てもらったわ。
ドクターが言うには、魚の目じゃなくてイボなんじゃない?って。
どっちでもいいから、どうしたらいいのか教えてよ。

そしたら、
「液体窒素でやっつけるって言う方法もあるけど」
って言うんです。
液体窒素ってliquid nitrogenって言うのだけど、それを聞いた時に頭の中で直訳してわかったわ。
あの、シミとかイボとか取るやつだ。

それをすると2、3日は少し痛みがあるけれどもそれが終われば患部は壊死して徐々に皮膚が活性化していくって。
そうなの、じゃあそれ、やってもらおうじゃない!

で、ドクター。持ってきた。液体窒素のボンベ。
「これを患部に10秒ずつ3回噴射します。それで終わり」

痛いのか聞くと、「まぁ痛い」とのこと。
でもな、それを我慢すればもう魚の目だかイボだかもなくなるのだったら、やってみるべきか。

覚悟をして、ベッドに足を投げ出し、上半身は起こした状態で座った。
「はい、行きますよー」
シューッ、シューッと細かめ、断続的に最初の10秒が始まる。

最初は
「ふーん、こんなもんか。だったら全然耐えられる〜」
と思っていたけれど、そのうち痛くなってきた。やばいかも。
最初の10秒の後半になると、これが痛いって言うことかって言うのがわかった気がしてきた。

なんていうか、ぎゅーってつねられているような痛さ。

そして次の10秒。
もう痛さがわかってしまったから体がこわばる。
終わる頃には上を仰ぎ、上半身はのけぞってしまった。

最後の10秒。
勝利はもうすぐ!耐えろ!耐えるのよ、ひろみ!
ってお蝶夫人が言ってた気がする。
終わった時には患部はジンジン。そこだけがジンジンする。

シャワーとか浴びても平気か?このまま靴下履いても平気か?
と聞いたら、全然大丈夫!
でもね、歩くのは流石に辛かった。

患部は少し出っ張ってるわけだから、そこが靴なり床なりにあたれば患部を押しているのと同じ。
そしてジンジンがさらに「ここ、ここ。ここが痛いんですよ」っていうのを強調する。

夜ベッドに入ってもジンジンし続けていた。
疲れていたのですぐ眠りに落ちたけど、そうでもなかったらきっとまともに寝れなかったんじゃないか?

嬉しいことに、朝になるとジンジンはなくなっていた。
まだ歩くと少し痛いけれども、頑張ってプールに行った。
日本に行く前、最後の朝練だったから。

みんな「元気でねー」って送り出してくれたわ。
よかった、ジンジンがなくなってここに来れて。
尾崎さんにも会えて話ができてよかった。

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