忘れないように書いておこうと思います。
帰国2日目。
J.C.のアパートを早めに出て、午前中のうちに実家に着く。
しばらく誰もいなかったから、寒い事、寒いこと。
空気を入れ替え、買ってきたパンを食べる。
食べ終わってから、父にLineから電話をする。
あちらもお昼ご飯が終わった頃だった。
着いたことを報告して、お昼に何を食べたのか聞いて(うどんを食べたと言っていた)、
明日行くからね、楽しみにしててね
そう言って電話を切った。
特に変わった様子はなかった。
夕方に、空港から受け取ったスーツケースを受け取ってから、お風呂に入り、テレビを見ながら途中で買ってきたお弁当を食べる。
急に眠気が襲ってきて、寝支度をしてそろそろ寝ようとしていた頃。7時過ぎだったかな?
兄から電話で、父が病室のトイレで気を失って倒れ、具合が良くないので来てくれと看護師から電話があったと聞く。
東京から車で、まず私をピックアップしてから病院に行くからと言われたので、支度をして待っていた。
この時私は、切羽詰まった感じではないと思っていた。
良い方に考えすぎていたのか、深刻には受け止めていなかった。
昼間の様子からしても、夕方6時に兄とLINEで話した時にいつも通りだったと言うことだし。
病院に着いてナースセンターに行くと、先生から「少し残念な話になってしまうのですが」と言う前置きで病状について話があった。
看護士さんが付き添ってトイレに行ったんですね。で、終わったらナースコールボタンで知らせる事になっていたのですが、なかなか鳴らないので見に行くと、倒れていたんです。
起こした時には意識が戻って、「倒れちゃった」と言うようなことを言っていたんですよ。それでベッドに戻して寝かせた後は、意識が遠のいたり戻ったりで。
そこまで話を聞いても、私は今でも病室にまだそのまま寝ていると思っていた。
先生はレントゲンのコピー画像を見せてくれて、続けた。
左側に脳の画像、右側にお腹周りの画像があった。
脳には問題はなかったので、倒れた時に頭を打ったとか脳梗塞とかではなかったのですが、お腹の方を見ると肝臓から出血していたのがわかります。
その為に貧血を起こしたのでしょうね。
本当に残念な話になってしまうのですが、そのうち呼吸がだんだん弱くなっていって、静かにお亡くなりになりました。
そう言われて、たまらなくなり、涙が溢れてきた。やっと溢れてきた。
まさに堰を切ったように。決壊。
待てなかったんだね、お父さん。
明日会おうねって言ってたのに。
私に「家の事でやってもらいたいことがあるから」って、リストアップしてあると言ってたのに。やってあげられなかった。
私が日本に帰るのをこの日に決めたよって伝えたら、「そんなに早く来なくてもいいのに」って言ってたのに。
たったの1時間前にはお兄ちゃんと話したのに。
その後、私と兄夫婦でお別れしました。
看護士さんが病院に来た時の服を着させてくれて、ベッドに横たわる父はただ眠っているだけのように見えた。
今にも目を開けて「来たんだね」って言いそうな父でした。
話しかけて、肌に触れて、お別れを言いました。
このタイミングで最後を看取ってあげられなかったのはとても残念な事なのだけど、こんな風にこんなに突然にお別れの日が来るなんて誰も思っていなかったから。
本人だってそうだったし。あまり気にしないようにしています。
享年93歳。
2022年に肝臓癌が見つかり、癌センターの担当医師の執刀最年長で手術をしてもらい、その後健康に気を配ってがんばっていたのだけど、昨年の3月に再発。
ほぼ1年、家族や周囲の力を借りつつも、一人暮らしで頑張りました。
偉かったよ、お父さん。
ありがとう。
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