昨日、ホテルにチェック後にだんなと電話で話したら、ご近所の皆さんがYoshieはいつ戻ってくるんだ??と聞いていたらしい。
お隣やら、お向かいやら。
そんなに私は存在感があるわけではないが、居ないとすぐにわかるらしい。
私が失踪後、だんなは「最近見ないけど、Yoshieはどうしたの?」
って聞かれていたらしい。
皆様、もうすぐ帰ります。
そんな普段のご近所付き合いやら(英語だとジョークもあまりできないし100%伝えたいことが伝わらないしで決して濃い付き合いではないけれども、適度に良い関係を保っていると思う)、今回私をいろんな形で支えてくれた友達。
どうやって人とつながっていくかは、母が教えてくれたような気がする。
母はおしゃべりな方ではないし、結構人見知りもする方だったが、かなり社交的ではあったようだ。
習い事をしたり、ボランティアに参加したり、友達、ご近所の方とたくさんの人と繋がっていた。
葬儀には、会場や日にちを伝えていない人が焼香に来てくれたし(しかも、その人達とはここ何年も会っていなかったのではないかと思われる)、たぶん知らせていたら結構な数の知り合いが来たと思う。
付き合いを大事にし、気遣い合って、感謝し合って、心配し合って育んできた関係は、死ぬまで続く。ということだ。
毎週トマトを届けてくれた近所のおばさんは、母が亡くなる前日に窓越しに母と少し話せて
「私にありがとうって言ってくれたのよ。こっちがありがとうなのに。あの時話せてよかった」
って言っていた。
それがまた、私には忘れられない。嬉しいけど、ものすごく悲しいことのような。
家族以外で母と話ができた最後の人物は、(母の状況を知らない人を除いては)母と一番付き合いが長かった友達だった。
偶然じゃなくて、何か引き合わせていたんじゃないかと思う。
最後に会っておこう、一言言っておこうって。
今回の帰国で、ひん曲がったり、ささくれだったり、穴が開いたり、乾いてガサガサになったりした私の心を、そっと撫でて温めて元通りにしてくれた人たち。
そんな人たちを一生大事にしようと思った。
大げさだけど、ほんと。
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