5月15日の朝、母が旅立ちました。
私はシフトが終わり仮眠中、父がそばにいる時、父が私を呼びに来て母のところに行くと、もう息を引き取った後でした。
なんだろう、こういう時って涙が出ないものなのだな。
悲しいというよりも、ホッとしたという気持ちのほうが強かった気がする。
余命1ヶ月、長くて2ヶ月と言われてから、2ヶ月以上頑張った。
癌とパーキンソン病の緩和ケア中、痛みもなく、苦しまずに逝けたのは奇跡に近かったかもしれない。
訪問診療に毎週来てくれていた医師は、前日の訪問診療が終わって帰る時、窓の外から母を見たら母が手を振ってくれたのだと教えてくれた。
最後まで、そういう人でした。
看護師さんと一緒に、私と兄嫁で母の体を拭いてあげて、用意していた服を着せてあげた。
お化粧が要らないくらい肌はきれいで、亡くなったとは思えない顔。
ふっとまた息が吹き返すのではないかと、何度も思った。
夕方になると、ご近所の方たちが会いに来てくれた。
みんながみんな、亡くなったとは思えないほどきれいだと言ってくれていた。
それだけで来てくれた人達もほっとする。
(つらそうな顔をしていたら、見ていたくないもんね)
そして私達もボロボロ泣かずに済む。
ここまで気遣いしてくれたんだな、きっと。
来てくれた幼馴染の一人が、私が仮眠中に逝ってしまったのだと伝えると
「お母さん、Yoshieちゃんに寝ていいよって言ってくれたんだよ。お父さんがその時に居たから、Yoshieちゃんは寝ててねって」
そう言われて、なるほどな、母らしい逝き方だったのかもしれないな。
そんな風に端々に、母の人柄が窺える。
そしてそれに嬉しくなったりホッとして、ビービー泣かずに済んでいます。
ありがとう、お母さん。
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