ただいま我が家では、3人のうち2人が風邪ひき。
なんだろう?季節の変わり目っていうものあるのかな。
学校が始まって割とすぐに風邪をひくことが多いかも。
2人とも同じような風邪で、1日ずつ症状が変わって行く。
のどの痛み→くしゃみ&鼻水→咳・・と言うように。
そして私だけ大丈夫なことが多い。
風邪には割と強い。
人が多いところにあまり行かないって言うのもあるだろうけれど、頻繁に手洗いをしているっていうのもありだと思う。
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NYで夜景を見たのが楽しかったのか、嬉しかったのか。
J.C.がどうしても夜に行きたいと言ったスカイツリー。
ロックフェラーセンターよりはるかに高いから、見渡す限りのビルのライトが見える。
ロックフェラーセンターは低い分、臨場感があったけど(おまけに外だったし)、ここからの夜景はビルの上に立つと言うよりも雲の上から見下ろすと言う感じ。
夕暮れが始まる頃に上って、よいポジションを陣取り、色が変わって行くのを見ていた。
おんなじように、そこから一歩も動かずに居座っている人がたくさんいた。
里帰り後から9月もそろそろ終わりと言う今まで、いろんなことでバタバタとしてました。
里帰り中の写真もまだ整理し終わらないまま、思い出に浸る間もないまま、忙しかった。
ちょこっとずつ合間を見て写真の編集&整理している。
最後にスカイツリーに行った時、寄った浅草。
雷門前を通りすがりに撮った写真。これがなかなかよく撮れていたので、いまPCのデスクトップの写真になっている。
人が少ない夜の雷門は写真が撮りやすい♪
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この里帰り中に、友達二人と新宿で遊んだ時のこと。
人気のお店でランチタイムはすごく混むから・・と遅めに待ち合わせして(それでも少し待つことになったが)、老舗とんかつ屋で珍しいとんかつ茶漬け。
その後、真昼間から開いてる安い居酒屋へ。
そこで時間をつぶしてから、カラオケへ。
全て2人が私の為にいろいろと考えて計画だててくれて、私はついて行くがまま。
けれども長い付き合いだから、私が気にいること、ちゃんとわかっているんだな。
カラオケでは、この日の為にこれを絶対歌おうと練習までしてくれた曲があってね。
酔っ払って3人で、肩組んで泣き笑いして歌ったんだった。
西野カナのBest Friend。
今日、夕ごはんを作りながらその時のことをふと思い出して、またおかしくなって、ちょっぴりさびしくなってしまった。
夏休みもそろそろ終わりに近づいてきた。
新学期の始まりが9月の第1火曜日なので、今年は9月6日が最初の日。
あと1週間。
今年の夏はいろいろあって、忙しかった。
半分は日本で過ごし、戻ってからは義母の死、甥っ子の結婚式。
そういうわけで、恒例のキャンプは、8月の終わりになってしまった。
本当は8月の始めに予定していたのだけど、行けなかったので変更。
変更してまでも行きたい、行かなきゃならない(笑)キャンプ。
いつもの場所に、2泊で行ってきます。
今年はバラの当たり年で、どのバラもたくさんたくさん花をつけて元気に育っている。
蕾をたくさんリスに食べられながらも、きれいに咲いた~♪
何日ぶりのブログになるかしら?
書かずにいた間、J.C.はグレード9を終え、夏休みに入ったその日から3人で日本へ里帰り旅行。
だんなは2週間、私とJ.C.はほぼ1カ月とたっぷり日本を満喫してまいりました。
たくさん、たくさん楽しいことがあって、後ろ髪を引かれる思いでカナダに帰国。
こちらも猛暑で、連日30℃を超える暑さは、梅雨入り前の涼しい日本から来た私には辛いほど。
時差ボケも結構ひどく、日中起きている間はもやもやして気持ちが悪かったり眠かったり。
おまけになんだかホームシック?
日本にまたすぐにでも戻りたいような寂しい気持ちで、何にもやる気が出ない日が続いていました。
そしてやっと時差ボケが治ったかなと言う頃。
ケア施設にいる義母の具合が悪くなり入院したと、夜に連絡がありました。
義母は尿路感染症のひどい状態で、毒素が体中に回ってしまっていたのだそうです。
89歳と高齢に加え、認知症、それにもともとの性格もあるのでしょうが、ずいぶん前から傷口を掻きこわしたり手を洗わなかったり、清潔にする、清潔でいようという意識がなかったのも原因の一つだと思いますが、体がもう、耐えられなかったのでしょう。
病院では点滴と抗生物質の投与がありましたが、血圧が上がらず、もうこれ以上の投与は無理だと言うことで、悲しいけれどもあとは自然に見送ると言う形になり、義父のいる施設に戻して見守ることになりました。
病院にいる時から、そして施設に戻ってからもがんばっていました(実際は眠ったような状態でしたが)。
時には声が聞こえたのか、額を動かしたり、焦点はあっていないようだけれども目を開けて見回すように目を動かしたりし、一度笑ったような表情を作ったこともありました。
けれども、この月曜日に義姉に看取られて息を引き取りました。
多くの私の友達は、義理母とはあまりよい関係ではないらしく、愚痴を聞くことも多々あります。
けれども私は、義母ととてもよい関係でいられました。
心の広い、優しくいつでも明るい人だったので、たくさん助けられました。
私の知る限りの義母は、常に笑顔でした。
認知症を患うまでに泣き顔を見たのはたったの一度だけ。
乳がん切除後の治療で、キモセラピーが残すところあと2回と言う頃
「もう治療をやめたい」
と辛そうにもらしたことがありました。
この人が私の義母でなかったら、カナダに移住してすぐに、私はここにいるのがいやになって、日本に帰りたいと思い続けていたかもしれません。
そんなことがあってずいぶんと辛い思いをしましたが、そろそろ復帰。
また明日から、がんばります。
今はドイツの親戚の家にある、義母が描いた絵